カストロ時代の終焉
『【サンパウロ時事】キューバ共産党トップのラウル・カストロ第1書記(89)は16日に開幕した第8回共産党大会で「私の第1書記としての仕事は、成し遂げたことへの満足感と国の将来についての確信と共に終わった」と演説し、62年にわたって活躍したキューバ政治の第一線から引退することを表明した。
米キューバ関係年表
冷戦をくぐり抜け世界に一時代を築いた「カストロ時代」に幕が下りた。
演説でラウル氏は、目と鼻の先にありながらも60年にわたり激しく対立してきた米国との「(互いへの)敬意を持った対話の促進と、新たなタイプの関係構築」推進を提唱。
後を継ぐ指導部に、キューバ型社会主義の原則を踏まえた上での関係改善を促した。
ラウル氏は兄の故フィデル氏やアルゼンチン出身の故チェ・ゲバラ氏らと共に1959年に成立したキューバ革命を指揮。
以後一貫してフィデル氏をナンバー2として補佐し、2008年の同氏引退後は国家評議会議長や共産党第1書記を務めてきた。
後任には忠実な後継者とされるディアスカネル大統領が就任すると見込まれている。』
キューバは数少なくなった共産主義国。
東側陣営のボスだったソ連が崩壊してロシアになり、共産主義友好国からの援助が得られなくなってかなり国の運営に苦労してきたキューバ。
現在のキューバトップはラウル・カストロ氏。
彼は亡くなった実兄のフィデル・カストロ氏の後を継いで、キューバを運営してきた。
キューバも一見、権力の世襲制と言えなくもないが、北朝鮮のようなキム王朝のための国といった独裁制はそこまで強くなかった。
キューバでは特定の政治指導者が偶像化するのを避けるため、存命中の人物のモニュメントを公共の場所に飾ることを法律で禁じているらしい。
日本人的には共産主義の革命をしたというのはあまりいい目で見られないが、当時は資本家のメチャクチャな要求で大多数は奴隷扱いされていた時代で、中南米では理不尽な状況が続いていた。
そんな時、国の富を平等に分配すればいいのではないかという考えが広がったのは当然だろう。
チェ・ゲバラはアルゼンチンの医者であったのに、革命に命をささげる人生を歩んだ。ゲバラ自身は、裕福な生活を送れていただろうに、キューバの後にアフリカやボリビアまで行って暗殺された。
フィデル・カストロ氏も裕福な家庭出身で、弁護士をしていたくらいだ。その2人が自らの地位を捨ててまで,革命にこだわった。我々はしっかり時代背景を理解しないといけないだろう。
中南米では伝説的な人物となったチェ・ゲバラ。
そのゲバラとカストロが出会い、キューバに乗り込んで革命を成功させた。
そのゲバラとカストロが出会い、キューバに乗り込んで革命を成功させた。
しかし、そのキューバ革命で共産主義国家がうまく機能していたかというとそうではない。
ソビエト連邦を見ると、人間の心理を無視した机上の空論だけで、うまく経済がまわらなくなり、製品の品質低下も招いて特権階級だけが得をする当初の理想とはかけ離れた国になり、遂には崩壊した。
米ソ冷戦時代、キューバはアメリカのすぐ近くにあるにもかかわらず、ソ連の東側諸国の一員だった。キューバ危機という事件も起こった。
それで、アメリカにとっては、喉元に共産主義の国があると危険だということで表裏でカストロ政権崩壊を試みてきた。
お兄さんのフィデル・カストロ氏は何百回と命を狙われたと言われている。
それでもキューバのカストロ兄弟は生き残り、最近ではアメリカとの関係修復も試みられている。
それでもキューバのカストロ兄弟は生き残り、最近ではアメリカとの関係修復も試みられている。
革命家なのに、フィデル・カストロ氏は90歳まで生き、ラウル・カストロ氏も現在89歳。
革命家でこんなに長生きをして、国を治めた人物も世界的に珍しいのではないだろうか。
ラウル時代が終わったからと言って、現在のキューバに大きな変化が急激に起こることはあまり想像できない。
徐々にキューバの変化がみられるという感じじゃないかな?