現在、広島では日伯交流100周年の展示を行っている。
当時の日本移民の苦労や状況を振り返りながら、現在その子孫が日本で暮らしている状況にスポットを当てている。
今年は、日本人移民781名を乗せて神戸を出航した笠戸丸が、ブラジルのサントス港についてから丁度100年。
今やブラジルは、アメリカと並ぶ日系移民の多い国。
今年のリオのカーニバルには、笠戸丸を模したパレードも行われたんだよね。
それで昨日、展示見に行ってきました〜。
今回のブラジル移民100周年展示は、JICAや中国新聞社などが協力して行っている。
その為、日系移民の説明に関しては、横浜にあるJICA海外移住資料館や中国新聞で掲載されたものばかりで目新しいものはなかった。
でも、展示品は面白いものもありました〜。
展示数はかなり少なかったが、ブラジルから取り寄せたりしたものも幾つか展示してあったのだ。
中でも残された手紙や当時の現地日本語新聞など読んでみると、なかなか興味深かった。
当時も色んな思いや見方があった事がよくわかる。
日系社会も年月とともに、変化してきたんですよね〜。
そりゃそうですよね。
南米日系移民の軌跡
特に第2次世界大戦は、彼らに甚大な影響を与えた。
ブラジルも日本とは国交を断絶し、1942年にはリオから日本大使館の引き上げが行われた。
残された日本人移民はさぞかし心細かっただろうと思う。
だってさ、ブラジル渡航費援助など国策のように移民を募集しておきながら、状況と共に自分達はさっさと引き上げてしまって、日本移民に何か問題が起こっても国としての後ろ盾がない。
ポルトガル語だって、不自由していたはずだし・・・。
敵国の移民という看板を背負わされたんだしね。
残された日本移民の中には、捨てられたという感じを抱くものもいたことだろう。
更に、戦争が終わった後の「勝ち組」「負け組」。
「勝ち組」「負け組」と言っても、現在のように金持ちか貧乏人か、人生の成功者か敗者かという事じゃないよ(笑)。
これは日本が戦争に勝ったか、負けたかという話。
太平洋戦争終結後、情報の不足によって日本がアメリカに勝ったと信じていた人々の集団のことを勝ち組。その逆で、日本が負けたと思っていた人たちの事を負け組と呼んだんだ。
これはブラジルだけじゃなく、アメリカでも起こっていた事だけど、これが収まるのに10年くらいはかかったという。
勝ち組のデモが行われたり、ブラジルでは敗戦を唱える認識派の負け組を攻撃し、ときには天誅の名でリーダーを暗殺したりもしたらしい。
情報も限られていた当時のブラジルでは(いやブラジルだけでなく、日本でも国民を鼓舞する為に戦勝ニュースでっちあげていたよね)、デマも色々飛び交っただろうし、、、どれが真実かわからなかった部分もあると思う。
実際、自分達が戦争に加わっていたわけじゃないしね。
それに加え、日本移民の中には敵国扱いのブラジルで、日本の勝利だけを希望に歯を食いしばって生きていた人も大勢いたと思う。
そんな日本移民にとっては、日本の太平洋戦争での敗戦は受け入れ難く、情報発信元が限られていた当時では、デマとして映ったのかもしれない。
とにかく日系社会が分裂して大変だった時代だ。
海外の日系社会に行けばわかるけど、日系社会と言っても一枚岩ではないんだよね〜。
まあ、国や地域によって随分違うけど。
1世でも色々な苦労をして生活をしてきた分、自己主張も強烈だったりする。まあ、それぐらいじゃないと、生きてこられなかったという現実もあるかもしれない。
日系移民2世、3世の問題もある。
但し、ブラジルを始め日本人の評価が高い国というのは、この日本人移民の影響が非常に大きい。
彼らがブラジルを始め移民国に根付いて苦労をしながらでも真面目に働いたからこそ、日本人の評価が高いという事を僕らは忘れてはいけないと思うわけです。
良かったら、参考にしてください。
ブラジルの大地に生きて
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